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つくるぶ2万字ロングインタビュー vol.1 「矢野さとるさん」の巻

ゲスト:矢野さとるさん(字幕in株式会社 代表取締役社長、satoru.net運営者)

旬のエンジニア・サービス運営者に迫る「つくるぶ2万字ロングインタビュー」、記念すべき第一弾にゲストとしてお招きしたのは、satoru.netの運営者・字幕in株式会社の社長として、今や時の人となった感さえある矢野さとるさんです。有名なエピソードもより深く詳細に、そして、サービス開発の秘話や、これまで語られることのなかったプライベートの部分まで、根掘り葉掘りお聞きすることができました。
さあそれでは、矢野さとるさんのご登場です!

はじめまして。矢野さとるです。

さとるさん、今日はよろしくお願いします。まずは自己紹介からお願いします。

はじめまして、矢野さとるです。こちらこそよろしくお願いします。最近、字幕in絡みでネット系メディアで取り上げてもらっているので、既にご存知の方も多いかもしれないですけど、僕はsatoru.netというサイトをベースにして、個人的な活動として色々とサービスを作ってきました。字幕inももともとは個人で運営していたサービスでした。

字幕in以外はどういったものを作ってきましたか?

最初に作ったわりと大きめのサービスが「2ちゃんねる2」っていうサイトでした。そのサイトは2ちゃんねるの閉鎖騒動があった時に、僕が緊急避難先のサイトとして作ったんですけど、「2ちゃんねるのトラフィックを全部取れたらスゲーことになるんじゃねぇか」っていう、わりと厨房的な発想でつくりました(笑)当時は、トラフィック分散とか大規模サービスの運営に必要な知識が全然無くて、結局、閉鎖に追い込まれてしまったんですけど。。。2001年頃の話ですね。サイト運営が好きで、その他にも「ボイスチャット」というサイトを作ったり、2ちゃんねるに寄生したようなサービスとかを量産してました(笑)

なぜそういったサービスを作ったのですか?

自分の面白いアイデアや変わったアイデアをネット上でカタチにして公開して、それに対してユーザーがどう反応するのか興味があって、沢山サービスを作ってきたんです。最近でこそ「自分が作ってきたサービスでうまくビジネス展開できるものがあったら、相手を見つけて組んで、それによってそのサービスがさらに広がっていったら面白いな」とか思うようになったんですけど、もともとは会社を起こすなんて考えていなくて。

そんなサービスを作って、どういう反応がありましたか?

僕にはオリジナルのものをつくるスキルが無かったせいなのか、既存のサービスを何かしらうまく利用して、新たなサービスを作るのが割と得意だったんですね。で、もちろん、好意的な反応を示してくれる人もいたんですけど、一部では「パクリのさとる」みたいに言われて・・・(笑)2ちゃんねるで結構叩かれましたよ。「パクリのさとる」みたいなスレッドがトップに上がっていたりとか。考えてみれば、ダークな事ばっかやってましたね。その頃はまだ福岡にいて、西部日刊スポーツというスポーツ新聞社で働いてました。そこではじめて「仕事」としてインターネットに関わったんですが、その前までは、独学というか、趣味でやっていたわけで。北予備の話とかって、知ってますか。まあだいたい全部ご存知ですよね。じゃあ、その辺から経歴的な感じでお話ししていきます。

はい、それでは、時系列に沿ってお願いします。

伝説のkitayobi.com騒動。

では、北予備の話からお願いします。高校卒業した後ぐらいの話ですよね。

はい、高校を卒業したものの、大学に滑ったんで、北九州予備校っていう福岡ではわりと有名な予備校に入ることになったんですね。真面目に勉強すればよいものを、この予備校に通う学生が集うコミュニティがあったら面白いなと思って、kitayobi.comというドメインを取って、勝手にコミュニティサイトを作っちゃったんですよ。そこでは、チューターランキングとか、講師ランキングとか、予備校生同士が交流できるような場所を作って、盛り上がれれば良いじゃんなんて思ってたんですけど。やっぱりそういうランキングとかやると、上位の人たちはまあ別にいいんですけど、下位の人たちからすると煙たい存在なんですよね。

そして、校内ですぐに噂が広まってしまって、校内放送で「こういうサイトを作っている奴がいるけど、そこにはアクセスしないように!」みたいな警告が流れて。それが流れた時に、ヤバイんじゃないの!?って感じで、僕の周りに仲間が集まって来ちゃって。予備校って教室の様子がだいたいカメラで映っているじゃないですか。そうしてすぐに運営者が僕だってばれてしまって、呼び出しをくらってしまいましたね。予備校側からは、ドメイン返却を求められたり、色々争いました。

ばれちゃったんですね。その後、どうなったのですか?

そんな感じでバタバタしていた時に、ミルクカフェという学校ポータルサイトにアクセスして、今こういう状況なんだよって訴えたら、じゃあ北予備のスレッドを立てるよって、管理人さんが言ってくれて・・・彼とはそこで知り合ったんですけど、今もとっても仲の良い友人でいてくれて、騒動が生んだ良い結果なのかもしれませんね。その頃は単なる予備校生ですから、法律のことを相談できる相手もいないし、2ちゃんねるの法律板とかで、僕の状況をえんえんと書き続けていたんですけど、いまだにそのスレッドが残っていて・・・けっこう恥ずかしいんですよ(笑)まあ、そんなこんなをしていた結果、最終的には、予備校に迷惑を掛けたということで退学になってしまったんです。

地元で就職しプログラムの基礎を学ぶ。

予備校をやめた後はどうしたんですか?

退学になったので、これからどうしようかなぁって思いつつ眺めていた求人誌に、Web関連のスタッフ募集があって、西部日刊スポーツに入ることになったんですよ。それまでは、誰かのためにサービスを作っていたというよりは、自分の気の向くままに作ったりとか、ダークなものを作ったり、そういうことに楽しみを覚えていたりして。そんな自分が、人のために役に立つことができたっていうのは、この会社が初めてでしたね。目の前にいる上司や同僚が、自分が作ったツールを「これ面白いね、便利だね」って言ってくれて、そこで初めて人の役に立つものを作り始めたんだっていう感覚が芽生えましたね。

ツールを作ったということは、仕事としてプログラミングをしたってことですね。

はい。実はその時までは、イチからプログラムを作ったことは無かったんですよ。高校生の時から、フリーのCGIとかをいじくってはいたんですけど、プログラム言語として理解していた訳ではなくって、CGIをちょっとコピー&ペーストして動かすと、これはエラーが出るなあ、でもこっちは動くなみたいな。いまいちよく分からないながらも、ネットで公開されているフリーのCGIを組み合わせて、自分のイメージするものに近付けることはできたんですけど。ゼロからシステムをつくるのって、何か組み合わせてなんとか動かすスキルとは、まったく違うスキルですよね。でも会社で「こんなシステムみたいなもの作りたいんだけど・・・」って言われて、僕自身も本を買って勉強とかしていたりしたんで、何とかなるかなと思って、「出来ますよ」って言って(笑)言った以上は作らなきゃならない状況になって、初めてそこで本格的にサービスをつくり始めたような感じですね。プログラミングは、そんなふうに仕事を通して覚えていきました。

具体的にはどういった業務内容を?

業務内容としては、スポーツ情報の会社なんで、スポーツに関連したシステム、例えば野球の速報ツールとかを作っていました。それまではhtmlを手で更新してたんですけど、さすがに大変で業務負荷もかかっていたので、僕がツールを作りました。そのツールは今も動いているみたいで、嬉しいですね。あとはWebを更新するCMSツールや、サッカーの速報ツールなど、手作業でやっていたことを便利に自動化できるようなツールを量産していましたね。あと、勤怠ツールみたいな業務系のツールも作っていました。まだ福岡にいた19〜21才の頃の話ですね。

憧れのYahoo!でエンジニアとして活躍。

その後、東京に行かれましたね。東京でのお話をお願いします。

とにかくインターネットが好きだったので、ネットといえばYahoo!だろう!という絶対的な想いがあって、福岡にいた頃はずっとYahoo!の求人に応募を続けていたんですね。でも「中途採用」って意味もよく分かっていなくって、最初の頃は実績が全くなかったので、何の連絡も無くて、、、当然ですよね。でも、いろいろと経験を積んだ21才の時にやっと応募を受け付けてもらえて、面接のために初めて東京に出てくることになったんですよ。この時にお世話になったのが、先ほども話したミルクカフェというサイトの管理人さんなんですけど、初めて会うっていうのに、空港まで迎えに来てくれて。おまけに彼が当時つきあっていた彼女の家を宿として提供してくれて。そんな親切に支えられながらYahoo!に面接に行って、めでたく入社することになったんですよ。

自分の家じゃなくて彼女の家を宿として提供というのもすごいですね。で、めでたくYahoo!入社ですね。どういったお仕事をされたんですか?

Yahoo!には「コンテンツエンジニア」っていう立場で入社したんですけど、まあいわゆる企画業務をメインでするわけではなく、企画担当者が考えたサービスを形にする開発業務をやってました。ただ、Yahoo!の場合は、エンジニアはただ設計やコーディングをやればいいという訳では無く、技術的な視点から見たら、この仕様をこう変えたほうが良いんじゃないかという、わりと企画的な部分にも少しずつ噛ませてもらいつつ、仕事してましたね。技術的には、大規模なトラフィックを分散させるための仕組みや、ネットワーク、データベースの知識など、前の職場では学べなかったことを、基礎的なことから沢山吸収していった感じですね。僕が具体的に担当していたのは「Yahoo!テレビ」っていうサービスと「Yahoo!ゲーム情報」で、他には、社内向けの簡単なツールも勝手に作って担当者にあげたりしてましたね。

勝手にツール作ってあげる人もなかなかいないですね。ツール作るのが好きなんですか?

はい、個人的に、「便利ツール」を作るのがすごく好きなので、社内の誰かに「ちょっとこんな感じのことできない?」って聞かれた時に、うんうん、それならできるよ、っていう軽いスタンスで色々作ってましたね。ログ関連のツールを作ったり、Yahoo!テレビの番組表関係のツールを作ったり、、、テレビの番組表って情報がすごく細かくって、当然htmlとかもすごく細かいんですね。だから、個人的にはかなり燃えたんですけど、そこから先の運用部分とかはあんまり燃えなくて。僕は仕事にムラがあって、難易度の高いものや強烈にややこしいものに対しては燃えるんだけど、そこから先の細かい詰めになってくると、モチベーションが落ちて、出来がめちゃくちゃ悪かったりして、社内でも鋭く突っ込まれたりしてました(笑)そんなこんなで、結局、Yahoo!には21歳から在籍して、23歳に卒業しました。

Yahoo!時代を総括するといかがですか。

Yahoo!時代は、色んな刺激的な仕事に取り組めて大きなメリットがあったのはもちろんなんですけど、東京に来たことで、ネット上では繋がっていたんだけど、まだ会ったことがなかった沢山の人たちともオフラインで会えたんですよね。東京に来てからは、福岡時代に比べて、実際に会える人が増えてきて。やっぱり、住む場所によって人間関係って広がるんだなぁって実感しますね。もちろんネットを通じた関係も大切で素晴らしいんですけど、やっぱりこう実際に会って話をした方が、より密接な関係を築けるという感覚はありますね。

独立も考えるが次の職場はlivedoorに。

で、お次はlivedoorに転職、ですね。転職のきっかけは?

Yahoo!を辞める間際の頃って、個人サービスのほうでそれなりにアフィリエイト広告の収益が出てきていたり、そろそろ次のステップに進みたいな、と思っていたんですね。もう、その段階で吸収できることは吸収しきったという想いもあって。あそこぐらいまでの規模の会社になってくると、ひとりで好き勝手できるわけではないですし、本当にやりたいことをやるために独立しようかなとも思ったんですよね。そんな時に、同じ六本木ヒルズ内で距離も近いんですけど、個人的に仲のよかったlivedoorの人に誘われて、次の職場として彼らの仲間に加わることになったんですよ。

livedoorに入社したきっかけは?

本当は独り立ちも考えたんですけど、まあ独立するにしても、livedoorって起業している人がすごく多いので、そういう人たちとのコネクションが生まれたら自分が独立したときに役立つかなと思ったりして。あと、その頃は堀江さんがメディアに沢山出ていて、どんな人なのかなと興味があって。livedoorにはそんな動機で入社しました。

livedoorではどういうお仕事をされていたんですか?

livedoorにはプランナーとして入って、担当していたのはlivedoorアバターとか、livedoorフレパとかですね。本当は、AAAっていう無料ホームページサービスを手伝うはずだったんですけど。で、アバターやフレパの仕事をやっていたんですけど、そんな本業の合間に自主的に作ったログの解析ツールが社内的に評判が良くって、今もそのツールが使われてるみたいです。livedoorでは、堀江さんって人の仕事のやり方と、メジャーな相手を目標に追いかけていく「勢い」みたいなものを見せてもらった感じですかね。その後、2005年11月にはlivedoorを辞めることになったんですが、きっかけは当時の副社長の園部さんの誘いだったんですよ。彼にSNSの会社をやりたいんだけど、一緒にどうよみたいな感じで引き抜かれれちゃって(笑)

SNS運営のウフルを経て、ついに「無職」へ。

実際に起業に関わることができたわけですね。どういう会社だったのですか?

2006年に、「ウフル」という中高年をターゲットにしたSNSの会社を、園部さんたちと作りました。僕はCTO最高技術責任者として、技術的なことを中心にやってました。園田さんはもともと中高年には可能性があると考えていて、それを実証するためにサービスを始めたような感じですね。でも、もともと僕とかは中高年に興味があるわけじゃなくて、SNSの開発をやりたかったんですよ。あと、起業っていうのは具体的にどういったことなのか興味を持っていたので、とりあえず一緒に仕事をやろうかなと。ただ、最終的には、僕自身が求めていたものとちょっと違ったかなっていう部分があって、僕は独立してしまって。で、辞めてから字幕inを作り始めたというか、無職という立場で個人の活動を始めた訳で、それが今年の1月のことだったんです。

ついに「無職」時代ですね。無職になったことでどういった影響がありましたか?

それまでは僕の作品だとか、僕自身だとかを、あまり表に出せなかったんですね。それは、やっぱり僕が会社員として組織に所属している身である以上、あんまり僕が前面に出て行ってしまうと会社的にいろいろな問題があったりとかするのかなと気兼ねしてしまって。もしも自社の社員が「2ちゃんねる2」とかをやっていたら、ちょっと問題になりますよね。ただ、個人になってからは、ネット系メディアで取材してもらったり、自由に活動できるようになりました。あと、会社をやめて完全にしがらみが無い状態になったので、自分が好きなことや、今まで作りたかったけどできなかったことに着手しはじめました。そんな活動の中で最初に作ったのが、さっきも言いましたけど字幕inだったんです。ここでやっと字幕inに辿り着くんですよね。

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